2014年07月16日

国宝と防災のコラボ 開催その4

浄心院様へ戻ると、まずはお話をお聞きするための設営だ。

机に座布団、次から次へと並べられる。
さすがチームグリーンシティだ。
短時間で、用意完了。
机の上には、東北支援の飲物や食べ物も各人に配られた。

さて、茂渡ご住職のお話が始まる。

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刀田山鶴林寺と呼ばれる由縁、鶴林寺の縁起、高麗より来朝した僧恵便に聖徳太子が教をうけられた等、色々な興味深い話をお聞きしたのち、方丈記のお話をしてくださいました。

方丈記は、鴨長明による鎌倉時代の随筆であり、天災・飢饉に関する記述が多く、過去の災害を知る上での教本とも言われている。

また、聖徳太子が灌漑用水対策をされたときの基準点「太子岩」のお話もお聞きしました。

言い伝えによると飛鳥時代に聖徳太子が加古川東岸の下流一帯に広がる鶴林寺領200町歩へ引く灌漑用水路工事の際、基準にした岩だといわれており、上流に堰を設け下流に溝を掘り進めた結果、5つの地域を潤したことから、それぞれ「五ケ井堰」「五ケ井溝」と呼ばれました。
これらの堰や用水路はその後も時代ごとに度重なる改修・延伸を続けられ、平成元年(1989年)に治水と利水を目的とした加古川大堰が完成するまで、1,000年以上の永きにわたって加古川下流地域の広大な田畑を潤し続けました。現在では「太子岩」の大半は土砂に埋まり、その一部しか見る事はできませんが、かつての「太子岩」はその巨岩を流れに横たえ、目の前の深々とした淵では鮎や鰻など、さまざまな魚が捕れた時代があったということが地元の人々の記憶に残っているそうです。


さてさて、太子岩と言えば、グリーンシティの瀧本教授(兵庫大学)が専門なのだ。

そこで折角、瀧本教授も本日ご参加頂いているので、太子岩から広がるお話もお聞きしようと突然のご無理をお願いしてしまった。わーい(嬉しい顔)

つづく・・・









posted by チーム防災会 at 17:30| 防災散歩